有名なぞなぞにガチ回答!! 〜数学科で培われる論理的思考力とは?〜

数学の学び方

本記事では

「パンはパンでも食べられないパンは?」

という有名ななぞなぞについて考えます。

日常生活で直接的には使わないと言われる数学ですが、間接的には「論理的思考力」という形で役に立っているとも言われます。

今回は、数学科出身の私が、この「パンはパンでも〜」に対してどのように考えを巡らせるかを見ていただきたいと思います。そして、ご自身の周りにいる数学科出身ではない方にも、このなぞなぞを投げかけてみてください。それに対する考え方の差が「数学科に入ることで日常生活に現れる変化」であり、役立て方によっては「論理的思考力」と呼ばれるのかもしれません。

 

答えを与えるためにすべきこと。

なぞなぞに限らず、問題に対して答えを与えようと思うとき、ふたつの立場があると思います。

  1. 答えを全て決定する。
  2. 答えを一つで良いから与える。

“答えが唯一つに定まるような問題’’ に対して、このふたつの立場は一致しますが、基本的には異なるものです。なぞなぞについては、後者の立場で良いと私は考えます。人それぞれ考える答えが異なり、各々に対して正誤の判断が下ってゆきますよね。

当たり前ですが、なぞなぞは「わかりにくく」できています。そこで、先ほどの後者の立場を採用するときは、

漏れてしまう答えがあっても良いから
満たせば絶対にそれが答えになるという
「わかりやすい十分条件」を与えること

を考えるのです。

では、なぞなぞ「パンはパンでも〜」において、答えであるための「わかりやすい十分条件」として何が考えられるでしょうか?勿論、その条件はひとつであるとは限らず、様々あると思います。その中で、私が考えたひとつを導いた過程を説明したいと思います。

 

「パンはパンでも〜」の分析

条件を分割して考える。

なぞなぞ「パンはパンでも食べられないパンは?」の答えを \({\rm Ans.}\) としましょう。このとき、

  • \({\rm Ans.}\) はパンです。
  • \({\rm Ans.}\) は食べられません。

のように分割することができますね。

このふたつを(誰からも文句を言われない形で)クリアできれば、それが答えのひとつとなるのです。各々を完全クリアするために \({\rm Ans.}\) が満たせばよい「わかりやすい十分条件」を考えてゆきましょう。

それがパンであるということとは?

このなぞなぞで登場する「パン」とは、小麦粉と水を捏ねて発酵させて焼いたアレですよね。これは数学的な対象ではないので、厳密に定義することは(少なくとも私には)難しいです。

仕方がないので、一般常識の中で

誰一人として「パンじゃないだろ」と文句を言えないもの

を考える必要がありますね。“否定されないこと” を考えるわけです。

例えば、「クリームパン」は紛れもなくパンでしょう。

例えば、「フライパン」は決してパンではないでしょう。

食べ物なのに食べられないとは?

パンというのは、大前提として食べ物ですよね。食べ物に対して「食べられない」と判断するには、何が言えれば良いでしょうか。

賞味期限や消費期限が切れていれば良いでしょうか。これに対しては

口には入れられるから「食べれる」だろ!

「食べられない」じゃなくて「食べるべきではない」だろ!

と文句を言われるかもしれません。

やはり、数学的な定義がないものや行為についてなので、一般常識の中で

誰一人として「食べられるだろ」と文句を言えないもの

を考える必要がありますね。こちらも “否定されないこと” を考えるわけです。

 

実際に答えを見出だす!

まず私は、食べ物に限らず、ものが「食べられない」ための十分条件を考えました。それは

「存在しないこと」

です。ぶっ飛んでいるように思えるかもしれませんが、実際、存在しないものは食べられませんよね?

次に私は、存在しないものの中から「パンであるもの」を考えました。それは

「パンのイデア」

です。もっと具体的に、「クリームパンのイデア」や「あんぱんのイデア」でも良いのかもしれません。

ここで、“イデア’’ とは哲学用語です。私は哲学の専門家ではないので、詳しい方からは怒られてしまうかもしれませんが、私の理解を基に簡単に説明をしておきます。

– – – – –
哲学的には「ものごとの理想的な姿を現すモノたちの世界」があって、この世に実在するあらゆるものは、その「モノ」の影であると考えます。
私が昨日スーパーで目にしたリンゴも、あなたが最近目にしたリンゴも、同じくリンゴと言えるのは、共通する「理想的な “リンゴ”」が(頭の中に)あって、目にしたのはその共通した認識の “リンゴ” 影としてのリンゴであるからです。
この「理想的な姿のモノ」のことを「イデア」と言います。(本当はイデアの世界が「実在」であって、この世のものは影に過ぎないそうなのですが、ここでは難しいのでイメージしやすいように、イデアの世界は頭の中に共通してある世界で、実在するのは現実世界のものという言い方をしています…。)
簡単にイメージするためには、「イデア」を「観念」「概念」「考え」「アイデア」のように噛み砕いて捉えても良いのかもしれません。
– – – – –

話は逸れましたが、そんな “イデア’’ です。

改めて、

「パンのイデア」

は、我々の共通認識としてのパンの理想的な姿であって、この世に存在はしないモノです。

「パンか?」と問われれば「パンである。」

「食べられるか?」と問われれば「食べられない。」

そう

「パンのイデア」は「パンはパンでも食べられないパン」なのです!

これは、とあるひとつの十分な条件を基に考えたので、「パンはパンでも食べられないパン」は「パンのイデア」しかないとは言い切れないことに注意しなければなりません。

 

最後に

いかがだったでしょうか?今回は、有名ななぞなぞをきっかけに、数学科出身である私の思考を巡らす過程をご紹介しました。

勿論、数学的な問題ではないため、完全に論理的に話が進むわけではありません。しかし、

  • 各々の十分条件を考えるという方針を採用したり
  • 答えを決定付ける条件を分割したり
  • 主張に対して「否定されないこと」を考えたり
  • 常識に囚われず「存在しないこと」を発想したり

という過程を自然と経ることができたのは、数学科出身であることの強みが出た部分であると思います。(勿論、同様の過程を経るために、数学科出身である必要があるとは思いませんが…。)

私は “イデア’’ という哲学用語を(自分なりの解釈であるかもしれませんが)知っていたので「パンのイデア」という答えを導き出すことができました。みなさんは、どのような十分条件を考え、どのような答えを導き出しますか?



AkiyaMath

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